最近、ブログの執筆が思うように進まない。
理由は明確。
自分にとってショッキングな出来事があったから。
ショッキングと言っても、ポジティブな方。
衝撃的な良いものに出会った。
植物染めってご存知でしょうか。
自然にある植物から色素を抽出して布や糸を染めるあれです。
それを京都で江戸時代の頃から行っている吉岡という一族がありまして、
ひょんなことから、この5代当主の作品とお話を伺う機会がありました。
まずは、作品の一部をご覧くださいませ。
どうですか。
とても色鮮やかでありながら、何となく日本的で良いです。
これは全て江戸時代以前の昔ながらの技法で再現された色です。
千年の時を超えて、今目の前に鮮やかに伝承されています。
かつての日本人は、柄ではなくこの色の組み合わせで何かを表現(例えば桐の花など)し、それが季節感と合間っているところに洒落を演出していたそうです。
「こんなの派手すぎる。日本は侘び寂びの文化じゃないの?」という人がいるかもわかりませんが、それは違います。侘び寂びは、鮮やかなものが日本に入ってきた後の概念です。目立ちたがり屋が『俺は他とはちゃいまっせ』という下心が始まりです。まぁ、この気持ちもよくわかりますね。
(※ここまで全て受け売りです。笑)
さて、私にとって何がそんなに衝撃的だったのでしょうか。
モノを実際に見ていない人に伝えることは難しいです。
このお方の作品に魅了されたのか、もしくは人と柄に惚れたのかわかりません。
娘であり6代の更紗さんが素敵な女性だったからかもしれないし、
末弟子が同世代で、スケーターファッションがイケていたこともあるでしょう。
とにかく私は、この空間にヤラレました。
別に私は、日本というカテゴリーに拘って生きるつもりはありません。
私が「これこそ我が祖国の芸術品」と感じるのはお門違いかと思います。私の祖先がこんな鮮やかな織物を目にする立場にあったとも到底思えませんしね。
更にそれが京都のものとなれば異国の話と同じです。
でも、この揺らぐ気持ちは何でしょ。
吉岡先生は、とにかくいわゆるオーガニックに拘っていました。
それは不自然な流行り物とは違い、まるでネイティブインディアンの教えのような世界観。
これは、もしかしたら私の求めている1shotの理想像なのかもしれません。
私は好んで人間の少ない田舎暮らしを選んでいるわけですが、なんとなく人が集まるところにはそれなりの物があるのかなと興味を持ち始めました。
特に京都には何があるのでしょうか。
気になって夜も眠れない。